■2004.8.23

 第5回『牧野伊三夫さんとマッチ箱のこと』

 イラストレーターの奥村麻利子さんから、「こんな素敵な人がいますよ」と、画家の牧野伊三夫さんを紹介していただいたのは昨年の夏のことだ。
 連絡先を聞いて、すぐに電話をした。突然の電話、しかもできれば急ぎで自宅のロケハンをさせていただきたいというぶしつけな依頼に、彼はあははと笑いながら答えた。
「よかったら今日でもどうぞ。夕方いらっしゃいませんか。ロケハンしながら一杯飲んでいってください」
 小さな子どもの声が受話器から漏れきこえる。1歳の長女です、とのこと。取材で、住まいと、子どもにまつわるデザインで、こだわっているものがあったら見せて欲しいとお願いしていた。
「うーん、そんなお見せできるようなすごいものは何もないと思うけれど……。それでもよければいつでもどうぞ」
 なんと垣根のない人だろうと驚いた。みずしらずの人にここまで自分を開示出来る人を私は知らない。

 電話の翌週、さっそく自宅におしかけた。東京郊外の小高い丘の中腹にその家はある。
 ここは東京なんだろうか、と思ってしまうほど、生い茂る柿の木の緑が濃い。昭和中期と見られる木造住宅が自宅、その裏手に、トイレ共同・風呂なしの木造アパートがあり、自分で改造してアトリエにしている。
 手作りの棚があちこちにあり、家をいとおしみながら暮らしている様子が伝わってくる。約20年前、大学入学の時に買ったという木の机には、『暮らしの手帖』の表紙ラフらしきものがあった。ああ、ここからあの表紙は生まれているのだと思うと、少々緊張した。

 黒縁めがねの奥の人なつっこい目。白の開襟シャツにスラックス。あえて、エアコンをとりつけていないアトリエで、汗をぬぐいながらカンバスに向かう。
「画家というものが社会の中でひとつの職業であるという意識を持っていたい」
 だから会社員がYシャツを着て会社に行くのと同じように、なるべくシャツにスラックス、革靴というきちんとした身なりでアトリエに立つようにしているのだと言う。

 牧野さんと話していると、「身を立てる」という言葉を思い出す。言うまでもなく、生計を成り立たせるという意味だ。牧野さんは、絵で身を立てている。きちんと社会に立って、身を立てている感じが、作品からも、住まいからも、人柄からもにじみ出ている。

 2度目に伺ったあと、ご家族やスタッフと、牧野さん行きつけの焼鳥屋に行った。真っ黒な煤で、元の壁の色がわからないような古い店。牧野さんの子どもに、たのんでいないのにおかみさんが「あいよ、食べな」と、卵焼きか何かの小鉢が出された。
 いいですねここと言うと、「これもいいでしょう」と、彼は店のマッチを差し出した。
「今晩のんで 明日は仕事 大黒屋」
と、明朝体の文字が、縦に大きく並んでいる。
 社会にきちんと立って暮らしている人は、こういうマッチのある店で、杯を傾けるのだなあと思ったら、おかしくなった。あまりにもぴったりすぎると思ったからだ。
 そのマッチは今、私のMacの前にある。のむときはのんで、仕事するときは思いきりまじめに、誠実に。そういう姿勢を私も少しは真似できたら、と思う。
 おない年だけれど、昭和の画家に会ったような、不思議な気持ちに包まれる。印象深い人である。


 

牧野さんの宝物の一部。山口薫の私家本と、かつて実家で売っていたオリエンタルカレーの
ノベルティスプーン、コレクションのマッチ。『ジャンク・スタイル』より。


 


きっちり遊んで、きっちり仕事する感じにあこがれを感じ、
なんとなく毎日眺めてしまうマッチの標語。
          


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