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今、書かなかければと思った。

ヒロシマ、ナガサキに落とされた二発の原子爆弾を開発した科学者は3000人いた。 そのうち70名が「日本の非戦闘員のいる小さな町に落とすのはやめてください」と トルーマン大統領に請願書を出していた。自分たちはナチスを倒すために、開発製造してきたのだ、と。 今年1月。 私はアメリカに渡り、その請願書に署名をしたユダヤ系科学者本人と、家族、同僚らに取材をした。 科学者は皆90代で、約束の10日前に天に召され、取材がかなわなかった人もいた。 今聞いて、書きとめねば。その思いだけで、とびこんだ。 なぜ署名をし、その署名はどうなったのか。 21万人の明日を、一瞬で奪った原爆という大量殺戮兵器を開発したことを今 どう思っているのか。 これまでどう生きてきたのか。 子どもや孫には、自分が開発者だと伝えたのか。 そして現在の北朝鮮の脅威を、トランプ政権が進める核戦力増強政策を、どう受け止めているのか。 彼らの口から出た想定外の回答に、私は雨のやまぬシアトルで、真夜中のサンディエゴで、たたただ途方に暮れるばかりであった──。 金なしコネなし経験なしの怒涛の旅の記録と、署名科学者たちの証言をまとめた新刊『届かなかった手紙 原爆開発「マンハッタン計画」科学者たちの叫び』(角川書店)が 一人でも多くの皆様の目に留まるくことを願っている。 「がれきの中で聞いた言葉をいま皆さんに繰り返します。“あきらめるな、押し続けろ、光の方にはっていくんだ”」と ノーベル平和賞授与式で、『核兵器禁止条約』の採択に貢献した国際NGO ICANに寄せて被爆者がスピーチしたこの日に。

届かなかった手紙 原爆開発「マンハッタン計画」科学者たちの叫び
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